昭和49年 日付不明


熊谷家霊祭


 あのこう、まー操作をいたしますと、シャッとこうね、もうそれこそいけるもののように、動作が操られるように、そういう情景を頂いてですね、もう今日のこの御霊様のその、例えばそういう働きを受けられた、遺族、皆さんの真心というか、その真心がそういう御霊様の操る、生きた、いかにも生きたもののような働きをここに表すということですね。
今朝からのご理解の中にも、何とか言う、外科医の元祖と言われるお医者さんが言われた言葉の中に、医者は手術をするだけだと。癒したまうのは神様だという言葉がね、ございますがね、ほんとにあのー、それとあれを思い合わせて思うんですけれども、あたくしどもがほんとにあの、薬を飲んだから病気が治った、手術をしたから良くなったと、どんなに素晴らしい名薬でも、どんな名手術であっても、それを本当に癒してくださるのは、やはり根本に神様の働きがあってのことであるということを分かるという事が、あたくしはまー信心だと思うですけれども、そこを分かっての今日の御霊のお祭りであって、あたくしはいよいよ、あの操り人形が、いうならば生き通しに生きていけれる働きのもとというか、原動力というかね、そういうものがね、えーこれは魂の世界にあるものだけでなくて、あたくしどももそこに有難いおかげによくすることがでけるんだと思うんですが、
3、4日前に久留米の佐田(サタ)さんところのおばあちゃんのお母さんですから、今の佐田(サタ)さんたちには、お婆さんになる方です。その方のこれは式年ではなくて、帰幽日です。いわゆるこれは仏教でいうお立ち日でしたから、嫁さん達みんな、もう朝からおばあちゃんが好きだったという様々な物を、甘なからな取り揃えて、ここで4時の御祈念に合わせて、ご挨拶をしてくれということでしたから、奉仕させて頂いたんですけれども、こんなにたくさん、生花の、生き生きと生花が、あのこのままくくって縛ってあるのを水桶にこうつけてあるところをいただくんですよね。ですから例えばその御霊様の生き生き、そりゃ中には枯れ果てたような御霊もありましょうし、動きの取れないような御霊もあると思うけれども、まー生き生きとしておるけれども、遺族のものの真心で、それを縛っておるのをほどいて、それを例えばなんなん流、まー合楽でいうなら合楽流てという風に活けあげるところに、今日のお祭りの意義があったんですよねという風に、まー話したことでしたけれども、この活けあげるということのところに遺族のいうなら努めがあるようですね。今日の御霊様でも同じこと、ほんとにそれを使うものの、技術いかんによって、その活けるがごとく操り人形が動きを見せるように、ただだからそれだけではいけない、いうならばほんとに神様のおかげ、例えば熊谷さんが、今日の御霊のために前々からお取次を願いに願われて、そして今日のお祭りにならして頂いて、こういういわばお祭りの形を奉仕された、け、だから御霊がきたの助かったのというのではなくて、それを助けて、そういう医者が投薬をしたり、手術をしたようなもんだ。その元つ、というものは、元つ親のであるところの、いわゆる、癒したまうのは神様だというその二つが一つになってね、渾然として、なんとも言えん雰囲気が、御霊の世界にも、また私ども遺族の上にも、そういう働きが見られるんだと思うんです。今日はそういう意味でほんとに有難いお祭りでした。不行き届きなことでございましたけれどもおかげいただきました。